互選

俳句と私 「一句のために菖蒲園へ三日間通った」  -俳優・小倉一郎さんとともに-
 聞き手/星野 椿・星野高士・沼田かずみ

  椿  「今回のゲストが小倉一郎さんって聞いて、久しぶりにお会いできるのが
     とても楽しみでした、私。」
  小倉 「僕もです。先程、お母さまの立子さんのお墓にお参りさせていただきました。」
  椿  「ありがとうございます。皆さんがいらっしゃるって言うんで、慌てて飛んでって
     きれいにしたんですよ。汚れてるとみっともないと思って。
     きれいでしたでしょ。」
  高士 「原の台の方へも行かれたんですか。」
  小倉 「『五七五紀行』のロケで、鎌倉駅の近くのホテルにスタッフと泊まって
     たんです。
     それで虚子旧居へ回ってから寿福寺へ。
     『五七五紀行』はテロップで俳句が流れるんです。そのための二十句くらい
     作って。
     僕は星野立子さんの句で一番好きなのが

     ~昃れば春水の心あともどり~  立子

     これが大好きなんです。」
  椿  「ありがたいわねえ。『春水の心』って言ったところがね。なかなか言えないわ
     よね。」
  小倉 「はじめ、この字がなかなか読めなくて、調べて。『昃』は本来、傾くという
     意味の字ですよね。」
  高士 「辞典には、そういう読みはないと思います。『ひかげりて』って読ませちゃっ
     たんですよ。」
  小倉 「僕はその『昃りて』で作ってみたいとずっと思ってまして、菖蒲祭というのが
     東村山にあるんですが北山公園トトロの森っていう所へ三日間通ったんです。
     三日目のもう夕暮時に暗くなっちゃった花菖蒲を見てて、これが使えたんです。

     昃りて又陽のさして花菖蒲

     二十九句出来てたんですが、それらを捨てて三十句目に出来たこの句を持って
     句会へ行ったらグランプリを貰っちゃったんです。三日間通った甲斐がありま
     した。」
  椿  「この句はすごくいいですね、立派な写生句ですね。花菖蒲は難しいのよ。
    『又陽がさして』が目に浮かびます。三日間通っただけはあります。
     あなたの代表句よ。」
  高士 「小倉さんの句で

     ~大阪へ日帰り仕事梅雨明くる~

     というのがありますが、これもいいですね。『大阪へ日帰り』がいいん
     ですよ。」
  椿  「テレビのためにお作りになった句を幾つかご披露くださいませ。」
  小倉 「虚子旧居の句ですと、

     日盛りや咲くもの多し虚子の庭

     あと百日紅があったものですから、虚子も触れたであろうなと思ったもの
     ですから、虚子ふれしさるすべり有りふれてみし」
  椿  「なるほど上手いわね。それいいわ。」
  小倉 「お墓にどくだみの花がいっぱいあったから

     ~十薬や谷倉の中の虚子の墓~

     それと、松山へ行ったときの

     ~子規堂に虚子の扁額夏落葉~
     ~古りし碑の虚子のくづし字夏つばめ~ 」

 高士 「なるほど飛び方ね、そこまで来ている。」
 小倉 「あと深大寺もロケしたのですが、

     ~一句得て書きとどめおく夏木立~ 」

  高士 「全部写生句ですね。」
  椿  「小倉さんは俳句もそうですけど、文章もお上手で、『みんないい人』っていう
     本がとても面白いのよ。小倉さんはいろんな方に会って、みんないい人って思う
     のね。
     人間ってみんないい所があるのね、みんなそれぞれに。悪い所をほじくるの
     ではなくて、いい面を実によくご覧になることの出来る人だってことが、この本
     を読むと伝わって来るの。懐深くお付き合いの出来る方だと思うわ。
     松山で『BS俳句王国』のスタッフの方々とお花見をしたことがあったでしょ、
     お堀のところで。」
  小倉 「お花見の後で、椿先生と同じ飛行機で、おしゃべりして帰って来ました。」
  椿  「楽しかったわね。」
  小倉 「あの時、へんてこな眼鏡をプレゼントしたんですよね。」
  椿  「ねじれる眼鏡ね。私、どういうことって聞いてね。説明を聞いてやっと分
     かって。こんな薄くなってケースに入ってて。あの時はありがとうござい
     ました。」
 小倉 「ああいうの好きなんですよ、僕(笑)。」
  椿  「探すのがすごく上手いのね。ああいうのを探すのって一種の才能ね。私なんて
     前を通り過ぎても全然気付かないの。母の立子が年中『王様のアイデア』って
     いう店に寄っては変な物を買って来る人だったの。それで、家中で変な音が
     したり、急にくるくる回り出したり・・・。」
  小倉 「僕もそれに近いかな。」
  高士 「私なんかも祖母から変な物を年中もらってましたね。トランプも好きだった
     ようで、暇があれば一日中トランプで一人占いをしてましたね。

     ~トラムプの独り占稲光~ 立子

     っていう有名な句があります。小倉さんは今度句集をお出しになると伺い
     ましたが。」
  小倉 「はい。新鋭作家シリーズ十人集というのに加えてもらえるということです。
     八百句から四百句に絞って、さらに先生に二百句にしてもらったんです。
     でも、薄い本は嫌いだと思って、ふざけたのも正統派もありにして三百句に
     して、エッセイも入れちゃえと。」
  椿  「でも、小倉さんはそれだけ才能があるから立派ね。何て題になさるの。」
  小倉 「『俳々』にしようかと、俳句の俳をかけて・・・。僕はワープロが出来ない
     もんですから、指にペンだこ作ってやってます。(笑)」
  椿  「ワープロやパソコンは命が伝わって来ないような気がするわ。私はやろうとは
     思わない。」
  小倉 「若い人達はワープロとかインターネットとかやってますけど、会話しなくなっ
     ちゃうのかなと思って・・・。」
  椿  「対話しなくなっちゃうんですって。」
  かずみ「インターネットの話が出ましたので、言わせてもらいますが、四月八日の虚子忌
     の時に『俳句ステーション』というサイトを立ち上げたんです。
     インターネットで俳句をやりたいっていう人がいっぱいいるので、そういうこと
     もやっとかなきゃと前からインターネットの話が出てたんですけど。
     お陰様で五百件くらいのアクセスが来るんです。だから、それがちょっと実って
     くればね、若い人からお年寄りまで。」
  小倉 「とくに若い人にもっとやって欲しいですよね。」
  高士 「小倉さんもお書きになってましたが、若い人がもっと増えてくれないと、俳句は
     衰退してしまいますから。」
  椿  「インターネットが普及することによって若い人がやるかもしれないわね。」
  小倉 「それと、お年寄りの文学だと思われちゃってるんですよね。子規だってやって
     た時は若かったんですよ。」
  椿  「みんなそうです。虚子だって十代からよね。だって『俳句なさらない?』
     って言うと、『いいえいいえ、もっと年をとってからします』って言う人が多い
     わよ。年とってから始めるのは手遅れだから、もっと早いうちからやらなきゃ
     ダメよって言うんですけどね・・・。」
  高士 「小倉さんの俳号は蒼蛙(そうあ)でしたね。」
  小倉 「はい。以前は痩せた躯で、痩躯(そうく)って言ってたんですよ。
     ただ、この字がやっぱり凶悪な顔つきをしてるんですよね。それで『走狗』って
     いう字を考えてもらったんですが、これは中国ではスパイという意味なんです。
     それで、『夢千代日記』の脚本家の早坂暁さんにその話をしましたら、
     『やせがへる負けるな一茶これにあり』
     があるから、青蛙(せいあ)はどうかって・・・。
     『青』よりは蒼弓の『蒼』ぼ方がいいなと、それで蒼蛙(そうあ)と。
     早坂さんがつけて下さったんです。」
  椿  「そうなんですか。蒼弓の『蒼』がいいわね。」
  小倉 「僕としては気に入ってるんですよ。早坂さんは俳句をやる方で、『夢千代日記』
     にしても『花遍路』にしても、作品によく俳句が出てくるんです。今度の私の
     句集の帯をお願いに上がったときも快く引き受けて下さって・・・。その時に
     今度の『五七五紀行』のイントロはこういう所から始めたいって、もう脚本を
     書いていらっしゃるわけです。
     『虚子自伝』の初っ端に、鹿島っていう島がある西の下(げ)という所に八歳
     くらいまで虚子は住むんだそうですが、海岸がとっても美しい所で、虚子がまだ
     赤ん坊でお母さんにおんぶされてるとき『きれいだね』ってお母さんが言った
     のを記憶していると。虚子はずっと俳句をやってきたけれども、結果、その風景
     を描いているのだ、原点はそれなんだ、西の下なんだと書いていると。
     そんなことから、急遽、西の下のロケが増えたんです。西の下は海もきれいで
     とてもよい所でした。」
  椿  「西の下は一度行ったことがありますが、『白砂青松』っていう感じのいい所
     よね。」
  小倉 「松山に行って教わったことなんですが、明治維新後は、薩長や土佐の人達が
     政治の中枢にいて、松山は時流に乗り遅れてしまったというのがあって、
     政治家にはなれなかった。
     だから、作家になるとか学校の先生になるとかしか道がなかったから、松山
     にはインテリが多いんだそうです。」
  椿  「時代に置いて行かれたわけよね。」
  小倉 「でも、それは松山の人にとっていいことだったのかもしれませんね。」
  高士 「子規っていうもとに集まって、みんなで野球をしたり句会したりっていうのは、
     今考えるととても面白いですね。」
  椿  「子規っていう人はたいへんに大きな影響力ね。子規がいたからこそ虚子がいて、
     たくさんの先輩俳人たちがいて、今の俳句につながっているということ。
     私たちも俳句が楽しめているわけね。
     今日は、楽しいお話を聞かせていただいてありがとうございました。テレビも
     句集も楽しみにしています。」


  玉藻 夏物語(第6号)より


 

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